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藤原 親能(ふじわら の ちかよし)は平安時代後期から鎌倉時代初期にかけての公卿。権大納言・藤原定能の長男。 == 経歴 == 承安2年(1172年)従五位下に叙爵。治承2年(1178年)従五位上に陞叙され、翌治承3年(1179年)右兵衛権佐を務める。 寿永2年(1183年)正五位下・右近衛権少将に叙任。寿永3年(1184年)美作介、左近衛少将を務め、元暦2年(1185年)従四位下、文治3年(1187年)従四位上と順調し昇進する。文治5年(1189年)にはさらに正四位下・左近衛権中将に叙任され、美作権介を兼ねる。但馬介を経て、建久8年(1197年)従三位・侍従に任ぜられて公卿に列した。正治3年(1201年)周防権守を兼任。 建仁3年(1203年)正三位・参議に叙任される。加賀権守を経て、元久3年(1206年)従二位に昇り、建永2年(1207年)権中納言に至る。同年10月に父に先立って薨去した。享年39。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「藤原親能 (権中納言)」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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